なぜ私がトライアスロンを始めたのか


994542_551209921612057_2123569801_n
 
それは平成25年8月5日(月)のことだった。

当時、私は地元「みよし商工会青年部」の部長を務めていた時のこと、その年の春から新入部員として入部した、トライアスロンスクールを営む竹内君と商工会の会議室での出来事だった。

 

 話を聞くと彼は、大学1年生の時から本格的にトライアスロンに取り組み、大学年の時にはアジア選手権、ワールドカップ日本代表に選ばれ、大学卒業後、アラコ株式会社(現トヨタ車体)に実業団トライアスロン競技部第一期生として入社。5年間在籍し、シドニー・アテネオリンピック代表候補選手となるものの、オリンピック出場はかなわず、戦力外通告を受ける。会社に残り、フルタイム社員として半年間働 くが、トライアスロン競技への夢を捨てきれず、会社を退職。アルバイトをしながら、プレイングコーチとして選手活動を継続し、日本選手権には学生時代から通算17回出場。平成24年5月に独立し、株式会社トライアーティストを設立したという。(ホームページより抜粋)

 

 商工会とは、地域で商売を営む経営者や後継者が集まる地域経済の団体組織であり、彼はその商売発展と人脈づくりのために会社設立した翌年に入会してきたのだった。当時私は青年部長で商工会の地域活性化のための事業を行いながらも、各部員の商売の発展に役に立たなければ組織の意味がない、それを実現していくことが商工会の使命と役割だと強く思っていた。

 

そこで私は彼に聞いた、

「スポーツを商売として、本当にやっていけるのか?ゴルフやサッカーや野球教室ならともかく、トライアスロンだなんてマニアックで過酷なスポーツで、大丈夫なのか!?」

「はい、これから何とか頑張っていきます!」と彼は言った。

 

そして彼はさらに私に言った。

「来月、初心者向けのレースがあります。ぜひ出てもらえないですか?」
「えっ!? お、俺がでるの!」
「スイムを400m泳いだあとに3km走るだけですよ!」
「わ、わ、わかった。よし、それじゃあ出よう!微力ながら少しでも事業PRになるのなら、体を張ろうじゃないか!」そんないきさつで、その場で思わず大会申込書にサインをし、やっぱり後で言い訳して逃げるといけないと思い参加費まで即金で払ったのだった。

簡単に返事はしたものの、その当時の私は、「クロール25mも泳げない、100m走ったらすぐ息切れする」そんなもう十何年以上もの運動不足でブクブクに太っていた。

決意の冷めないうちに、翌日から彼のトライアスロンスクールに入会、クロールのレッスンを受ける。

大会まで残された日数はあと40日、そこで「40日間ブートキャンプ」と命名し、さぼらない様にとフェイスブックに毎日投稿して自分を追い込んだ。
挑戦者 近藤 慎一

 

40日間ブートキャンプの成果もあって、その初心者向けのレースを無事になんとか完走できたのだった。

部長として何とか彼の事業をPRしながら40日間ブートキャンプを終えたはずだったが・・・

「近藤部長、お願いがあります。今度はトライアスロンにチャレンジしてもらえませんか?そして、トライアスロンを身近なものとして、生涯スポーツとして普及をさせたいのです!」

「え、まじ?それは本気と書いてマジと読むトライアスロン?よし、わかった!(何もわかっちゃいないが) こうなったら俺は約束する。君の言う通り、凡人が努力すれば必ず達成できるという事を俺が証明してやる。そして、かならずトライアスロンが身近なスポーツとしてそのPR活動に貢献する。」

つい、うっかりそんな約束を彼としてしまったのだ。どうやら青年部長として本当に体を張ることとなった。

 

与えられたミッションは

2014年6月 蒲郡オレンジトライアスロン 51.5km(ショート) 完走セヨ! → 達成!

2015年6月 アイアンマンセントレアジャパン 113.1km(ミドル) 完走セヨ! → 達成!

2016年9月4日 佐渡国際トライアスロン 236km(ロング) 完走セヨ!

→ 残り21km地点でタイムアウト失格!

詳しくはこちら       「越えよ佐渡!」~2016年 佐渡国際トライアスロン大会奮闘記~

2017年9月3日 佐渡国際トライアスロン 236km(ロング) リベンジ決定!

➡ たまたま3週間前に受診した心電図検査に異常がありまさかのドクターストップで断念

2018年 抽選結果 ➡ 落選

2019年 抽選結果 ➡ 落選 ➡ 2か月後 まさかの復活当選!!

ついにリベンジするチャンスが訪れた。

 

驚いたことに、そんなド素人の私を応援してくださる企業の皆様が、その挑戦のために出資をしていただいたのだった。 もはや私は必ず達成しなければならないミッションを背負う事となった。

そして、遂にその時が来た。私は日本最長レースである236kmへ挑む。

 

なぜ、そこまでやるのか・・・

 

それは、約束したからだ。

交わした約束は体を張ってでも守る、そんな男になるために・・・・

 
cropped-cropped-10934079_770120089733679_7463463310395429095_n.jpg

 

 

努力すれば必ず成し遂げられる

                               近藤 慎一