蒲郡オレンジトライアスロン51.5km完走への道のり


 

なぜ私がトライアスロンをするのか



平成25年8月5日(月)みよし商工会青年部員でありトライアスロンスクールを営む竹内君に用事があり商工会で会った時に、翌月に開催される初心者向けのアクアスロン大会(水泳400m、マラソン3km)に出ませんかと誘われる。 もう10年以上も運動不足で100m走ったら息切れするブクブクに太ったこの体ではそんなの無理だと思ったが、私は現在みよし商工会の青年部長であり、部長として青年部員の商売発展につながるのならと、うっかり引き受けてしまったのが全ての始まりでした。



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その大会まで残された期間はあと40日。たった40日でできるのか?と思ったが、これを40日の強化合宿にしてやろうと思い「40日間ブートキャンプ」と命名、3日坊主にならないようにとトレーニング実施記録をFacebookに毎日投稿し皆さんの目撃を巻き込み実践していくことでそのトレーニング計画もなんとか達成し、その結果レースも完走できた。



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これをきっかけにいい運動習慣ができたので、その後もブートキャンプと称して継続し1年後の9月にまた開催されるであろう同アクアスロン大会に出場して、前年よりも記録を大幅に伸ばそうとのんびり構えていた今年2月のある日のこと、

竹内くんから「部長、相談がありますが」と1通のメールが届く。

「6月に蒲郡でトライアスロン大会があるのでそれに出てもらえないですか?」

「え?今度は本気と書いてマジと読むトライアスロン?」

「そうです、それとそのために『蒲郡オレンジトライアスロン完走プロジェクト』という スクールを開校するのでそれにも参加してください。そしてトライアスロンをPRして もらえると嬉しいです。」

「わかりました・・・」



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そんなやりとりから竹内君のトライアスロン事業PRのためについに本気でカラダを 張る事になったと、返事をしてから気がついた私。

ところでトライアスロンってどんだけの距離なの?何時間かかるの?? 調べてみると、水泳1.5km、自転車40km、マラソン10kmで制限時間は4時間以内。 なんじゃこりゃ?って思うが、もう手遅れだ。

こうなったらやりましょうと開き直って覚悟を決める。

ところが、トライアスロンって泳いで、自転車漕いで、そのあとマラソンするのに 気がついたら競技用の自転車を持っていない。 それを竹内君に相談すると「型落モデルの新車ですが特別価格で斡旋しますよ」と 言われ、何もわかってないまま、まさか自転車を買うとも思っていなかったのに またまた安易に「じゃあそれで」と返事をしてしまった。



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もう覚悟ができているので、「レースにそれが必要ならそれを手に入れましょう」と身を任せてしまっているのでした。

トライアスロンに必要な自転車、海を泳ぐためのウエットスーツ、大会参加費用(今回は2万円もする)、その他色々な備品を揃えるのに、あれこれ見積もってみると最低でも費用が25万円はかかることが後になって発覚。

「いやいや、安易に返事をしてしまったが、資金調達どうしよう・・・」

とりあえず嫁に「ちょっとさ、25万円貸してくれ!」とお願いしてみたものの 「はあ?なにそれ?」と一撃却下される。

こうなったら深夜アルバイトでもするかと思ったが、会社の立場上それをするわけには いかない。困った、資金繰り。どうしよう、銀行で借りるか?なんだか会社経営者の悩みみたいだ。トライアスロンのために銀行が融資するわけがない(笑)。







そんなある時、雑誌を見ていてふと思いついたのがプロスポーツ選手でよくあるスポンサー企業だった。

「よし、こうなったらスポンサー集めだ!」と一瞬名案のように思いついた訳だが その後一瞬にして私はド素人であることにも気がついた。

「そんな事出来る訳がない・・・」 誰もがそう思うであろうが、「いやいやダメもとで聞いてみなけりゃ分からない」と 追い込まれるとそんな動機も湧いてくるわけで、「こんな僕のスポンサーになってもらえませんか?」とお知らせしたところ、なんと5社もスポンサーになって頂けるという奇跡が起こった。







その他いろいろご縁があって、難関であった資金調達も気がつけばクリアしてしまったのだ。そして競技用の自転車も手に入れることができた。

そもそも何で私は、そんな資金調達に追い込まれ、なぜ皆さんはこんな私に出資していただけたのかと、感謝の中にも疑問は尽きないが、条件がそろってしまったので後はやるしかないと遂には自分に追い込みをかけていくことになる。



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昨年、安易に始まった40日間ブートキャンプは、ますますエスカレートしもう止められなくなったと同時に、アスリート魂がスイッチオンしていく。

気がつけば、自らたくさんのものを勝手に背負って、私の想像と意思を超えていく。 きっと世間ではアホだと思われているに違いないが、アホも開き直れば楽しくなる。

私のトレーニングは早朝のみ。朝4~5時に起きて6時から1時間程度トレーニングメニューをこなす。そして朝ごはんを食べて仕事にいく。こんなことが続いている自分が不思議でたまらない。



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もともとトライアスロンをやる人っていうのは、頭のイっちゃっているドMの人がやってるものでマラソンだけでも苦しいのに何で泳いで、自転車もこがなきゃいけないの?そう思っていた私が、気がつけば本気になって取り組んでいる。

しかしながら実は、やればやるほど面白い、そしてとてつもなく苦しいスポーツでもなく、意外に年をとっても続けられるスポーツであることが分かってきた。飽きっぽい私には3種盛りで、飽きさせない。



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夏休みの宿題は一度もコツコツとやったことがなく、毎年8月30日から2日間徹夜して乗り越えてきたこんな私が地道にコツコツとトレーニングを積んでいる。

会う人、会うところで、会うたびに必ずブートキャンプの話になる。当初の目的であったトライアスロンの紹介と普及に役立っていたのだった。



いよいよ迎えたトライアスロン大会当日、こんなに必死で準備してきたのに天候は雨、 路面は濡れており自転車はスリップ転倒する可能性が高い。

8時40分スタートのレースだが、前日よりホテルに宿泊し翌朝6時過ぎには現地位入りして「トランジションエリア」という自転車に乗り換えるたりランニングシューズに履き替えたりする場所に自転車、ヘルメット、ランニングシューズ、サングラス、ランニングキャップ、補給用ドリンクなどを与えられた自分のスペースにセットする。



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7時から準備体操を行い、海のスイム練習は7時半から15分間だけ許可されているので、アップのためにとりあえず海に入る。やっぱり海は汚い、透明度はなく50cm先はもう見えない。陸に上がり、これから最初に1.5km泳ぐコースを眺めて「あんな遠くまで泳いでUターンして帰ってくるわけ?」といまさら呆然とする。



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その後、開会式が行われ、順番にスタートが始まり、自分は第6ウェーブといって6番目の8時40分集団スタートとなる。その集団は250人くらいで、さらにスタート5分前から海に入り、立ち泳ぎをしてスタートの合図まで水中で待機をしていなければならない。



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「そんなもん疲れるわ」と思ったのでギリギリまで海に入らず桟橋に腰掛けて体力温存作戦を試みる。自分と同じ考えの人がほかに5人いて、初めてお会いする方たちだったが「ですよね~」と言って急に意気投合、そんな会話をしていたらスタート1分前という事で審判から強制入水させられる。



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そしてスタートの合図とともに海に浮かんだ250人が一斉にスタートする。一斉スタートなのでいきなりバトルが始まり前を泳ぐ人の足の かかとで顔を蹴られそうになるし、となりを泳ぐ人の手で後頭部を殴られる。そんな時にムキになって心を乱されるのでバトルを避け後方からゆっくりスタートを試みるが、それでもバトルに巻き込まれる。練習で学んだことを生かしムキにならず冷静になることを心がけた。



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長い道のりが始まった。泳いでも泳いでも先に見える折り返し地点はまだまだ遠くに見える。汚い海で視界が悪く、時おり海水を飲んでしまい息がむせながらもなんとか自分のペースを保ち練習通り泳ぎ続ける。20分くらい泳いでやっと折り返し地点でUターンになり気合が入ってきたのでスピードをあげようと試みるが、 「ちょっとまてよ、いま調子に乗るのはいいがこの後自転車40km漕いでマラソン10km走るんでしょ?調子に乗ると後で崩れる」と冷静になることができ、泳ぐペースを変えずそのまま泳ぐことにした。



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水泳のゴールあと200m位のところで後方から魚の群れのように自分たちより5分あとにスタートした集団が追いついてきて私を抜き去っていく。この時点で追い越されるならまあまあのペースだろうと逆に安心をする。



なんとか水泳のゴールにたどり着き陸に上がる。



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この時点でスタートから40分が経過していた。そこから約400m先にある自転車置き場までウエットスーツの上半身を脱ぎながら走る。思っていたほど疲労は少なかった。 トランジションエリアに到着すると多くの人たちはもう自転車に乗ってスタートしていたので、おおよその自分の順位を知る。しかしそれは今回どうでもよくて自分が自分のペースを守り無事完走をすること決めていたのでそこで動揺はしなかった。 練習通りウエットスーツをその場で脱ぎ、水分補給と栄養剤を飲みヘルメットをかぶりサングラスをして、自転車専用のシューズに履き替え、自転車は決められた場所からしか乗っていけないのでそこまで自転車を引っ張って行く。そしていよいよ今から自転車40kmの旅が始まる。工業団地の中にある1周10kmコースを4周するので、既に自分よりも先に走っている人たちがビュンビュン漕いで走り去っていく。



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小雨のため路面が濡れていて どれだけのスピードを出したらいいのか感覚がわからず1周目は様子を見ながら走る。

途中、タイヤがパンクして往生している人を何人も見かける。雨のため転倒した人も何人もいたようで、肩に傷を負い血を流しながら自転車をこいでいる人も何人も見かけた。 直角カーブやUターンが1周当たり20ヶ所近くもあるコースなためそのコーナリングには慎重を要した。

転倒して立ち上がれず雨の中道路に寝そべって肩を抑えてうなっている選手を見かけ「あ、この人転倒して鎖骨骨折したな・・・」と思いゾッとする。 そうは言っても、漕ぎ続けているうちに調子がわかってきて、練習の想定では時速25km~30kmで走ろうとイメージしていたが、雨にもかかわらず平らなコースなので時速30kmで走ることができた。時速35km位で走ることもできそうだったが、やはり路面が濡れており転倒する可能性があったので少し抑え気味で走ることにした。



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4週目になりいよいよ自転車も後1周で終わると安心し始めたとき、後ろから若い女性で速い選手が数名ほど颯爽と自分を追い越していく。

「おお、素敵だな・・・」とそのレースウエア姿に見とれていたその瞬間、地面にあったくぼみを見逃しそこに前輪が一瞬ハマる。ドンと衝撃を受け自転車のハンドルから両手が一瞬離れ、転倒しそうになった。危うく転倒、もしくはパンクしそうなくらいだった。

「いやいや、レース中に邪心は禁物だ。これは神様のお告げに違いない。」とはっと気がつき冷静さを取り戻す。ここで転倒したらすべてが終わる。私には応援してくださっているスポンサーの皆さんがいる。何があっても絶対完走しなければならない。



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冷静さを取り戻し、4周目を終え再びトランジションエリアに無事帰還。自転車を置きヘルメットを外し、ランニングシューズに履き替える。水分補給をし、いよいよ最終種目のマラソン10kmの旅が始まる。



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1周3.3km位のコースを3周走ってゴールとなる。ぐるぐる回っているので、もうたくさんの人が既に走り始めているが、もはや私には関係ない。

全ては自分が完走することが最終目的であり他人との比較ではない。私には勝手に背負った皆さんの期待を裏切らないように必ず完走することなのだ。同じチームのメンバーや応援してくださる沢山の人達とすれ違いながら走る。もっとみんな速いペースで走っているのかと思ったら、3つ目の種目だけあって皆さん結構ヘロヘロな感じで走っていて、「みなさん同じなのね」と変に安心をする。流石に自転車40km漕いだあとに10km走るというのは、自転車の疲労をどう切り替えるかという所が重要で、いかにランニングのマイペースに持っていけるかが勝負だった。



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初めの1周目は体が重く辛かったが、徐々に慣れて自分のペースで走ることができた。

また、自分の着ているレースウェアが「チームあすたま」のロゴが入っているので、走っているだけで知らない人からも応援される。この大会には「チームあすたま」グループが80名位で参戦していたのでそのギャラリーの皆さんも多かった。

途中に給水ポイントがあり、紙コップで水が用意されているので、TVでみるマラソン選手のようにかっこよく片手でそれを取り走りながら水を飲もうとしたところいきなりそれで息がむせる。走りながら水を飲むのも簡単ではない、しかし飲まなければ脱水して倒れるのだ、色々と戦いはつづく。1周、2周と走り続けていくうちにもうあと1周走ればすべてが終わる、そして遂に完走達成のゴールが待っている。そう思うとワクワクしてきた。そしてついにゴール直前の直線に差し掛かり、同伴ゴールと言って応援に来てくれていた娘と一緒に51.5Kmをフィニッシュ!ついに成し遂げたのでした。



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タイムは3時間12分、正直な感想を言うと思っていたよりも早くゴールでき、思っていたよりも楽にゴールできた。

それはなぜか、これまで自分が計画的に準備してきたことを、冷静に自分と向き合い、焦らず慌てず今までどおりの自分のペースで、そして自分の力で続けてきたことを実践しただけだった。



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半年前ならこんな風には考えられなかったが、日々積み上げてきたという自信が興奮するレース中の自分を冷静にさせてくれた。

「俺はこれまでやってきた、だからやればできる」ただひたすらこれを唱えた。

どんなに高く苦しい目標でも、それを想定して、逆算し、その為にいつまでどれだけのことが必要で、起こる問題は何とかしようとすれば、何とかなっていくものであり、できない理由を並べてやろうとしない自分と向き合いどう乗り越えるのかを日々問いかけ続けてきた。

そして途中で挫折しそうになったとき「俺は何のためにそこまでやるのか?」その明確な答えをきちんと持っておくことだ。

「できない理由を並べて言い訳して何も成し遂げられない自分に勝つため」に。

もし、それを成し遂げられたのなら・・・ その先には何がある? もし、もうここで止めてしまったら・・・ これからの人生は挫折の連続か? そんな問いかけを日々自問自答し、愚直な実践をしてきた。



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大切なことは、

1.やると決める。(覚悟すること)

2.動きながら準備する。(できない理由を排除する)

3.やればできる。(愚直な実践し続ける)

 

それが、このブートキャンプNEOで学び得たことなのです。

私は大きな羅針盤を手に入れることができました。 どんな荒波もきっと乗り越えられるだろうと大きな自信となりました。

 

そして、大会完走から2週間後のある日、監督の竹内君から次のミッションが下された。

 

1年後の 「2015年6月  アイアンマンレース 完走セヨ。」

水泳1.9km 自転車90.1km マラソン21.1km

合計113.1km  6~7時間??

わお、蒲郡オレンジトライアスロンの2倍以上じゃん・・・!!!



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そして、それをクリアしたら次の指令は

さらに1年後の

「2016年9月 佐渡国際トライアスロン大会 完走セヨ」

水泳3.8km 自転車190km マラソン42.2km

合計236km  15時間半??   蒲郡の4倍以上??



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朝6時にスタートして夜の9時半までにゴールするんだって・・・

出来ると思いますか?そんなの無理でしょ?

アホと違いますか? あんたはドMですか?

きっと周りの皆さんはそんなの無理だというでしょう。

できるか?できないか? そんなのはやってみなければわかりません。

 

だから私は、

「わかりました、やりましょう」と返事は0.2秒で答えてしまいました。

 

「頼まれごとは試されごと」

 

私はただ頼まれただけですが、「 そんなの無理でしょ」っていうみなさんの予測を上回り、どうせ一度きりの人生、何かを成し遂げるために命かけてもいいでしょ。

できない理由を言わずそれを私は自分で選ぶことにします。

一生のうち、「あんなことよくやれたよね」というくらいの何か一つでも成し遂げる人生に向き合いたい。

 

限界は自分で決めない、可能性の扉は自分で開く。

他人との比較競争ではないのだ。 やればできる。

そのプロセスを愚直に実践し続けることなのです。

 

またこれから約2年間の戦いが始まりました。

ブートキャンプNEO ステージ2の幕開けです。

 

こうして、私がトライアスロンにチャレンジすることができたのも

竹内君、竹内君の営む「あすたまトライアスロンスクール」の関係者の皆様

http://miyoshi-tc.asutama.com/



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株式会社日進中部「GAINA」様 http://www.gaina-chubu.com/

木戸モータース 様 http://bootcamp.s-kondoh.com/?page_id=2

秀清堂「ふわ和」様 http://syuuseido.net/

うどん八右衛門 様 http://8emon.jp/

ナカネセラム 様 http://www.hm.aitai.ne.jp/~nakane-ceram/index.htm

 

また応援していただきました皆様のおかげです。

ありがとうございました。

そしてこれからもよろしくお願いします。

 

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「人との出会いが人生を変える」

 

そこで私はできない理由を言わずチャレンジするかどうか

 

私はその為にブートキャンプをこれからもやり続けることにします。

近藤 慎一